長寿は幸せか:その1 87歳の母の介護を通して考えること
最近つくづく思います「80歳までには死にたい」
母は87歳になります。1年前まで一人暮らしをしていました。
3年前に父は亡くなり、その後から一人暮らし。初めてのひとり暮らし。
母との同居はしませんでした。
今だに私へ小言を言ってくる母と毎日顔を合わせる勇気はありませんでした。
食事内容、食事時間、服装、孫(私の子供)への助言、部屋の掃除、洗濯の仕方、お酒はよくない、などなどなど・・・・・至極真っ当なことを言ってきます。正しいことに言い返すこともできず、息が詰まります。
80年以上かけて培われた考えは、ちょっとやそっとのことでは覆りません。私がどんなに反論しても、翌日にはまた同じことを穏やかに指摘してきます。
別居なら、会う時はいつも笑顔でいられます。
一人で母の面倒を見る勇気もありませんでした。
同居の娘がいれば、他の親族は安心するものです。それまで、等分していた介護の負担は同居と同時にグッと重くなります。
唯一の姉に「お母さんとは暮らせない」と言われたことも忘れられません。母との間に何かあったようで。
料理ができなくなった母へ、食事を運んだり、週1〜2回は一緒に外食したり。ゆるい通い介護。
母が強く拒否したのでのデイサービスへ行くこともなく。毎日、掃除、洗濯、食事の用意など身の回りのことは自分でこなしていました。
お風呂に一人で入れなくなり、入浴介護サービスへ週1回。
一年前に、転倒から骨折。入院、転院。
半年たっても、手を引いてトイレへ行くのがやっとの状態。ベッドから一人で起き上がることもできないようになり。
仕事をしながらの介護は考えられず、施設へ入ることに。
母も施設を希みました。母が、本心から施設を望んだのかはわかりません。
同居したとしても、日中は留守にするので毎日デイサービスへ行くことになります。それも母には負担になるかとも考えました。
運良く介護つきの施設へ入居することができ今に至ります。
記憶がはっきりしない事があり、理解力が弱くなり・・・
最近は、だんだんボケてきて。それを、認めることが悲しくて。
日中によく電話をかけてきます。仕事中は電話できないことは何度も言っているのですが、それを忘れてしまうのか、今何時なのかがよくわからないのか。
寝返りもうまくできず、手もうまく動かない母ですが、何とか電話をかけることができます。コロナ禍で会うこともままならない今、唯一の命綱です。
電話が途切れると心配です。
日中どう過ごしているのか、どれくらい食欲があるのか、体重は減っていないか、気になることはたくさんあるけれど、忙しそうな施設のスタッフへ問い合わせることも気が引けて。
コロナがまだこんなに深刻ではなかった昨年夏までは、直接会うことができました。入所したばかりのこともあって、仕事帰りに週4〜5回ほど会いに行っていたような気がします。「・・・私はいつまでここ(施設)へこんなに頻繁に通うのか・・」とちょっと疲れ気味でした。それが、コロナ感染予防のため面会禁止となり、仕事帰りの時間が自分のものとなり、楽になり・・・そして、母への罪悪感はますばかり。
施設に入り、足腰も弱り車椅子生活、トイレもお風呂も人の手が必要です。食事は自分でできますが、そばにいる人とお喋りもままならず、空いた時間を自分で楽しむこともできない。
自分で動けなくなり、耳は遠くなり、目も見えにくくなり、ゆっくりボケていく生活。
そんな生活を母がどう思っているのか、たぶん・・・もう聞けません。
そうです、これはやがて私の問題になります。
今の母のような状態に私もいずれなるかと思うと、やりきれないを通り越して恐怖です。そうなった私を世話してくれと子供達には言えないし、言うつもりもありません。子供といえども、人の人生を奪うわけにはいきません。
そんなこと、世話する方も、世話される方も不幸だと思います。
幸い母には潤沢な年金があります。それで施設へ入所できています。
私も、最低でも施設入所できるくらいの財産を築かねばと奮闘しているところです。
でも、最良は「自立している時に終了」することです。
80歳とは言いません、早くてもいい、寝込む前に終了したい。
そのための、「 計画 」を今から始めています!
上手くいくかしら!!!